|
|
|
願い続けた結果〜ネパール |
|
竹内氏は言う。「やりたいと思い続けていたら、自然と情報が入ってきた。」
現在は現地に直接薬とスマイルハートを届けている竹内氏だが、ボランティア活動に携わりたいと思った当初は、大抵の人が直面するように、何をどうしたらよいのか、全く分からなかったそうだ。
だが、そういう活動をしたいことを、いろいろな場所、場面で話していたら、自身が所属する地元青年会議所の先輩が、ボランティア活動をしている知人を紹介してくれ、思いが実現するチャンスへと結びついた。
ちょうどそのグループはネパールで診療所を建てたということで、現地を訪れる予定があることを知り、同行させてもらうことになったそうだ。その当時の社員全員がこの活動に賛同し、みんなでネパールに行きたいと言ってくれたそうだが、まだこの活動の現状を把握できていないような状況だったので、株式会社フカイからは竹内氏ひとりの参加となった。それでも何か少しでも役に立ちたいという思いを持つ社員達は、寄付する薬一つ一つに英語で製品名や内容を書いたテープを張った。
また、現地に旅立つにあたり、周りの友人や先輩や仕事関係の方々に声を掛けたところ、竹内氏と同じような思いを持つ人が多く、たくさんの寄付が集まり、みんなの思いを背負い、2001年6月、竹内社長はネパールへと旅立つこととなった。
その当時のネパールは情勢が悪く、外国人が医薬品を持ち、山奥へと向かうことは山賊に襲われる可能性が高く非常に危険だったため、警察の護衛付きの現地入りとなった。首都カトマンズから、道なき道を7時間。医薬品や風船、そしてスマイルハートを無事送り届けることが出来た。引き続き、ネパールへの支援活動を続けていこうと、念願の活動を始めて2年目を迎えた。だが、ネパールの情勢は更に悪化し、支援活動を行えるような状況ではなくなった。そこで、現地にいる日本人スタッフを頼りに医薬品を送った。だが、居ると期待していたスタッフは既に日本に帰国していたため、他の現地人スタッフに荷物を託したが、残念なことに送った荷物の半分程度しかそのスタッフのもとに届かず、更にその荷物の行方についても、診療所に届いているか否かも確認できないまま2年目の活動は終わってしまった。 |
|