|
|
心を見つめなおす巡礼の旅 |
|
道のところどころで、友人は法螺貝を吹き鳴らします。
法螺貝を吹く事には、いろいろな意味が込められていると言います。「音」は、場を清浄にし、気を整えます。 また、往古、国を巡回し、いろいろな情報を伝達したとされる修験者にとって、よく響く法螺貝の音は、遠くにいる味方に何かを知らせるために最適の道具だったようです。神秘的に思われる修験者の行には、実際的な意味も込められているのですね。
足場の悪い山道を、足元を見つめながら登っていると、いろいろなことを考えてしまいます。さくさくと降り積もった枯葉は、何層にも積み重なっています。腐って土になったものから、去年に落ちたものまで。生きとし生けるものが、死んで腐っていく様を連想されて仕方がなくなってくるのです。
「修業ってなんなのかな?」
何気なく聞いた私に、友人は振り返りました。
「なんなんでしょうねぇ。僕にもわかりません。でも、答えが出ないからこそ、修業ができるんじゃないでしょうか」
そして、にっこり笑って、こう付け加えたのでした。
「また、一緒に山に登りましょう」
頂上に着くと、経塚の前で、友人は、読経を奉納。そして、横笛を取り出して演奏しました。 そのことになんの意味があるのか、私にも、彼にもわかりません。 しかし、そのことによって、自分の心を見つめなおすきっかけとなる。それは決して意味のないことではないのでしょう。 修業とは、そういうものなのかもしれないと思った山行きだったのでした。 |
|
|