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漂泊の自由人・ゴーギャンの誘惑

尽き果てぬ魅力と個性
彼の名はポール・ゴーギャン

 西洋絵画のなかでも特に人気が高いジャンル、ポスト印象派。
 この時期の画家たちには、ゴッホやセザンヌなど史上有数の芸術の巨人たちが名を連ねていることでも知られている。
 豊かな色づかいと大胆なタッチで、タヒチやブルターニュなどの風物を好んで描き続けたポール・ゴーギャンも、そんな天才たちのひとりだ。

 21世紀をむかえた現代。しかし、ゴーギャンはいまだに人々の注目を集め続けている。
 キャンパスをあでやかに彩る肉感的なタヒチの女たちや、いかにも芸術家らしい個性的な自画像、日本の浮世絵の影響を受けて製作された平面的な構図の作品など、彼の生みだした独特の世界に魅せられるファンは後を絶たない。

 また、安定した仕事と幸福な家庭生活をすべて放擲(ほうてき)して、流浪のなかで自身の芸術を追い求めた孤高の人生は、特に中年以上の男性にとって心の琴線に触れる魅力を持っているらしい。最近、彼の名を冠した雑誌『Gauguin』が創刊されて人気を博していることからも、ゴーギャンの根強い人気を知ることができよう。

 彼の肉体は南洋の孤島に滅びたが、その魂と作品はまだまだ生き続けているのである。

 孤高の求道者、ゴーギャン。今回の記事では、没後100年以上を経てもなお輝き続ける彼の魅力を徹底解剖してみることにしたい。
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ゴッホ

ゴーギャンの足跡
家族も友人も捨てて

 ポール・ゴーギャンは1848年にパリで生まれ、ペルーのリマで幼少時を送った。
 後に彼は自分自身を「インディオ」や「野蛮人」になぞらえてみせるが、そのルーツは南米での子ども時代にいきあたるとされる。
 タヒチの風物や褐色の肌の女性たちに対する、ゴーギャンの並々ならぬ関心の原点は、彼のそんな生い立ちと関係があったのかもしれない。

 成長してフランスに帰国したゴーギャンは、航海士や海軍兵士として世界をめぐった後、株式仲買人として成功。妻と子どもにも恵まれ、文字通り順風満帆の家庭生活を謳歌する。

 経済的にも裕福な暮らしのなかで、ときに日曜画家としてキャンパスに向きあう…。35歳で職を辞する日まで、彼はきわめて平凡で幸福な日常を生きていた。ゴーギャンがそんな毎日を捨てて芸術の道に入ったのは、1883年のことだ。

 妻との不和と別居、貧困。たちまち襲う不幸のなかで、ゴーギャンはブルターニュに流浪し、ついに1888年、南仏のアルルで「芸術家の共同体」を目指すゴッホとの共同生活に踏み切る。
 しかし、ふたりの天才の個性はたがいに軋轢を生み、有名な「耳切り事件」をもってわずか2ヶ月で破綻。心の傷をかかえたゴーギャンは、南太平洋のタヒチへと向かう。

 しかし、これが彼の画家としての才能を大いに開花させるきっかけとなるのだった。
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ゴーギャンとタヒチ
新たなる境地を求めて

 失意のゴーギャンがたどり着いたのは、フランスの海外植民地だった南国の楽園・タヒチ

 現地では植民地の腐敗と堕落に直面し、決して心安らぐ日々ではなかったと伝えられるが、彼の作品はここで明らかな進化をとげることになる。
 ゴーギャンの代名詞的作品「タヒチの女」(1891年)や、遺作としてのメッセージを込めた大作「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」(1897-1898)など、数々の名作が生み出されていったのだ。

 ゴーギャンはタヒチの風物と、そしてなにより南国の女たちを愛した。
 妻子をフランスに放り出したまま、現地の10代の少女を何人か愛人にして、彼女らの姿を活き活きとキャンパスに描き続ける。
 現代人の常識から考えれば明らかな問題児。しかし、この破天荒な行動がなければ、絵画史上に燦然と輝く数々の名作は生まれなかったに違いない。

 ちなみに「タヒチの女」の画面右側に描かれたピンクの服の少女は、彼の同棲相手だった少女テフラ、またタヒチ時代後期の傑作「赤い花と乳房」の少女は、別の愛人パフラがモデルだったと伝えられている。

 ヨーロッパへの短期間の帰郷の後、再びタヒチに舞い戻ったゴーギャンの絵は、ますます円熟味を増してゆく。
 もっとも、生活者としての彼は散々だった。梅毒による病魔に蝕まれ、貧困と人間不信にあえぐゴーギャンは、タヒチ島からさらに奥地にあるマルケサス諸島へ移住。まもなく、孤独のままに波乱の生涯を閉じることになる。
 時は1903年、彼が54歳のときのことだった。
タヒチ