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誰のためのUDか 全員に関係するからUDなのだ |
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少子高齢化が進む日本で、UDの必要性はさらに高まる。まだ子どもが赤ん坊だった時、ちょっとした移動でもバギーを押していくのは大変だった。 そこら中に段差があり、エスカレーターの幅は狭く、エレベーターは遠い。
一番困ったのは駅だ。 バリアフリーバリアフリーと掛け声はいさましいが、公共建築はバリアだらけだ。 エレベーターはホームの一番端、電車の中にバギーを置くスペースはなく(車両によってだが)、トイレには高い段差がある(駅によってだが)。
新旧のデザインが混在している現在、一度に多くを望むのは酷だと思うが、それにしてももう少しゆったりとしたデザインにはできなかったものかと思う。健常者、健康な若い労働力のために街がデザインされている。
しかし人は必ず老いるし、老いる場所は往々にして若い時から住んでいる場所なのだ。それは都会であり、多くの人には年をとっても帰る田舎なんかないのである。
だからUDは自分のためのものである。 自分の知らない誰かのために作るのではなく、子どもの時の自分も老人になった自分も欲しいと思える、同時に使いやすいデザイン、それができればUDは本来の意味でのUDとなるだろう。
企業イメージをアップするためにUDを掲げるというのは、エコと同様、何とも見苦しい。 それこそ偽善ではないか。 |
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