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五輪から見えるスポーツと人間 |
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前述のトリノ五輪カーリングのように、オリンピックを見ているとマイナースポーツに多く出会います。普段は触れることのできないような競技もテレビ中継されていたりするので、スポーツ好きにとっては大変嬉しく、またそうでない人にとっても興味深いのではないでしょうか。
そんな中で馬術競技は、男女関係なく同じ土俵で争う五輪では大変貴重な競技です。それに関連して知人が発した言葉に深く考えさせられました。「他の競技も馬術みたく男女一緒にやらないのは、体力差を考えてのことだろう。だとすれば、人種によって分ける考えもあっていいんじゃないか?」
そもそもオリンピックは平和の祭典。いくら体格や体力などに違いがあるとはいえ、人種によって分けてしまうと、差別だ!などと大変なことになりますよね。ただ、それならば逆の言い方ができるのです。男女差別をなくそうと声高に叫ぶ今の風潮から言えば、本当の平等とは男女一緒にプレーすることじゃないのか?というのが知人の提案。確かに・・と思います。
それでも男女別々に争うことに抵抗がないのは、もともと男と女は別ものだ、体力や性質の差があるからだ、という意識があるからでしょう。そういった考えがスポーツとは関係のない別の場でも浸透すれば・・解決できる問題もあるのではないだろうか?オリンピックを見るたびにそう思います。 |
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