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アユタヤ王朝の歴史 |
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現在、世界遺産に登録されているアユタヤの遺跡は、バンコクの北約80km、チャオプラヤ川沿いに位置します。1351年、ウートン王がスコータイ王朝を滅ぼし、ラーマティボディ1世となり、ここアユタヤに都を構えました。アユタヤ王朝は近隣諸国との争いが絶えず、初期はクメール、その後は北方のチェンマイ、16世紀中頃からはビルマ(現ミャンマー)と戦っていました。そしてついに、1767年、ビルマ軍によって侵略され、その417年という長い歴史に幕を閉じました。この時、ビルマ軍がアユタヤの多くの仏像の首を切り落としました。アユタヤに行くと、その悲しい歴史を物語るかのように、首のない仏像の胴体だけが多く残されています。
アユタヤ王朝は、“アジアとヨーロッパの中間”、“チャオプラヤ川沿い”という立地を有効的に活用し、国際貿易都市として栄えていました。中国、インド、日本というアジア諸国だけではなく、オランダやイギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国との貿易も盛んで、いろいろな国の人が共存する多民族社会であったことも知られています。
アユタヤ遺跡近くには日本人町も残っています。17世紀、朱印船貿易でここを訪れた山田長政を中心に作られた日本人町には、当時3000人以上もの日本人が生活していました。しかし1630年「謀反の動きあり」として焼き討ちにあい、町はほとんどなくなり、今は記念碑と観光客用のお土産物屋があるだけです。 |
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